天の川火口付近の標高57mという、急峻な高台にあり、コシャマインの戦いで落城しなかった2つの舘の1つです。舘主の蠣崎 季繁、客将、武田信広も若狭の武田のゆかりのあるものと、「新羅之記録」に書かれてますが、実際にに松前藩で調べたが、若狭の武田とつながりあるものがなかったとか、定かではありません。
2つの曲輪と空堀
花沢舘は発掘調査され、溝、柵列跡、空堀、土塁などが発見され、小道があり、実際に登ることができ、その一部を見ることができます。
最初の、小さな平地は、手前の曲輪で、上記の模型のように建物を配置できるほどの大きさではありません。
館があったとされる、刈り込まれたちいさな頂上部、郭内でも東西64m、南北20mの広さしかありません。上国守護と言えども、周囲を統括する力もなく、各館もそれぞれが独立した存在で、和人のネットワークもできておらず、各個、撃破されていったと思われます。
御城印
勝山館跡ガイダンス施設で購入できます。