道南十二館~上ノ国~勝山館

 花沢館で「コシャマインの乱」を抑えた、武田信廣「洲崎館」を経て、築いた日本側の最大の拠点です。発掘調査により、多くの陶磁器や、金属製品、木製品など10万点余りの出土品、建物や空堀などの跡がみつかり、「中世都市」の様用がうかがわれます。

 館内部の橋や柵、空堀が復元され、建物の跡などが公園として整備されてます。散策路として歩くことができ、それぞれの場所には説明の表示版があり、当時の暮らしぶりがわかるようになってます。と同時にアイヌ人のお墓も周囲にあり、和人とアイヌ人が共同生活していたことがわかります。

 山側の駐車場には、ガイダンス施設があり勝山城跡の成り立ちがわかるように、当時の景観がわかりやすく説明されてます。(写真は大きくなります。)

国道からの散策路

お城の雰囲気を味合うには、国道側からの散策路を上がっていくのが良いでしょう。国道を挟んだ、向かい側に駐車場がありますが、入り口がちょっとわかりずらいかも。

勝山館ガイダンス施設

 

 山側にはガイダンス施設があり、勝山館のジオラマや、そこに住んでいた人たちの様子がわかりやすく説明されてます。勝山城跡全体を見渡すことができます。訪れた時は開館前でした。

夷王山神社

夷王山、「いおうざん」言います。松前藩祖の武田信広が祀られております。松前藩主は代が変わると必ず一度は、この神社と砂館神社・館神八幡宮を必ず参拝したそうです。毎年、家臣が参詣したといわれてます。

駐車場から約3分、ちょっとした、登山気分が味わえます。

屋外展示

 勝山館跡は、発掘調査が行われ、公園として整備されており、当時の建物跡などは詳細に調査されております。ガイダンス施設を見学された後、こちらに来ると、当時を思い浮かべることができるでしょう。ガイダンス施設の駐車場から降りましたので、搦め手からの紹介です。

 散策マップを大きくして、ご参考にしてください。(写真は大きくなります。)

夷王山墳墓群

 

搦め手の外には、アイヌの方々のお墓があります。この周囲にアイヌ人と和人が同居していたことが伺われます。館を守るような形で埋葬されてます。

搦め手と八幡神社

 

 

堀と土塁に守られた搦め手を入ると、すぐに八幡神社があります。上ノ国八幡宮本殿はここから、遷(うつ)されました。

館の守り

 正面は、本格的な櫓門が立っており、平地に面した、東側は、道が切り下げられ、物見櫓が立っており、兵士の建物があります。館全体は柵で囲まれており、守りの硬い本格的な山城の体裁を保っていたと思われます。

城代の館

 

  

 城代の館は、一段高くし、板堀が建てられ、お城の本丸に相当します。隣に住居の客殿や専用の井戸があり、戦の籠城にも備えることができます。客殿の前には庭があり、砂が敷き詰められてます。

その他の施設

鍛冶工房

 

ゴミ捨て場、土葬墓群

 

水場(樋・井戸)

 

倉庫群と侍屋敷跡

  

一段低いところに下がると、小さな平地があります。整備される前の石案内がありました。

御城印状

 北海道の中世のお城はすべて砦レベルの館なので、お城と言えるかどうか。勝山城となると福井県や栃木県のお城となってしまいます。千葉県にもありました。勝山舘跡ガイダンス施設で購入できます。

地図

周囲はキャンプ場や公園が整備されており、家族で楽しめる場所となってますので、是非訪れてください。

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