太田山神社とは
北海道の最も西にある神社、そして、日本で最も危険といわれてます。各種メディアに紹介され、有名になりました。
当日は雨。。。。。
本殿に到着。1の鳥居から2の鳥居を覗きます。3の鳥居が見えないくらい高いです。土砂降り。。スルーですよね普通。スルー。。
拝殿がありますので、そこでお参りすると、本殿でお参りすると同じ効果があるという。神様も少しだけずるを認めてくれてる。人生嘘だらけ?
というわけで、拝殿へ向かいます。
トイレ
近くまで来て。最初に見た建物。。トイレか。。水道ではないので、飲めません。ご注意を。
円空
1660年には円空が訪れてます。その時にはすでに太田神社は創立されてました。
円空は数々の仏を作ったといわれてますが、焼失し、展示しているのは丹生川村の円刀会に依頼して改めて作成したものです。
太田神社
道南五大霊場の一つで太田山に本殿。ふもとの海側に拝殿があります。
例祭日
6月28日
旧社格
村社
社殿様式
平屋造り
由緒
嘉吉年間に創立され、松前藩祖、武田信広が訪れた際に、太田大権現の尊号を賜わり、以来、航海の安全と霊神の加護として信仰されている。
北海道神社庁より
嘉吉年間(1441~1443)の創建と伝えられる。享徳3年(1454)若狭国から渡米した武田信廣公が太田に上陸した際に太田権現の尊号を贈る。
宝永元年(1704)越前国正光寺の僧空念が太田山に参詣し観音経を奉納、文政元年(1818)洞窟内に小祠が建立され銅製の不動明王ほか2神が奉斎された。更に文政10年にはある僧が太田に来村し大和国吉野蔵王権現の事跡を写して銅製の不動尊像を併せて祀り太田権現として小祠を建立している。
天保12年(1841)太田山に大日堂が建立され、嘉永元年(1848)頃には山僧宗倹(定山法印)が別当として居住する。慶応3年(1871)太田山麓に拝殿が造営され大日如来が安置される。明治5年に太田権現の仏像仏具を廃し太田神社と改称し猿田彦大神を祀る。
明治9年には村社に列せられる。明治27年、拝殿を改築し拝殿前面に社務所を新築する。これまでに崇敬者により写経や仏像などが多数寄進されていたが、大正11年、洞窟内に参籠していた修験者の失火が原因で本殿が焼失、この時貴重な資料や円空仏も灰燼に帰してしまった。
翌12年本殿階段を修繕するが、大正14年、大時化《しけ》のため階段が破損流失する。昭和12年本殿の階段の修繕、大鳥居の建替えが行われる。同38年開発道路工事のため拝殿と社務所を新たに造営、50年には女人遙拝堂を、翌年には本殿を改築している。
祭神
猿田彦大神
猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)
天孫降臨の際に、天照大御神に遣わされた邇邇芸命(ににぎのみこと)を道案内した国津神。伊勢国五十鈴川のほとりに鎮座したとされ、中世には、庚申信仰や道祖神と結びついた。
拝殿
何度も言いますが、こちらでお参りすると、山の上の神様まで祈りが届くとか。
狛犬
北海道最古の灯台
道内最古の灯台は根室市の納沙布岬。そして、現存する灯台は「石狩灯台」です。
しかし、せたな町にある「定燈篭」は1857年(安政四年)に弁財船航行のために作られ、どの方向から見ても太田山の文字が見えるように作られてました。当時は魚油(鮫油)を使用してました。
現在のは劣化、破損し、レプリカです。
周りには、多くの岩に囲まれてます。
そして本殿へ
もちろん、スルーなんかしてません。こちらへ来る前に、ご本神にお会いしてきました。
つづく。。。。。。