悲しい過去を持つ、神威岬と念仏トンネル

カムイ番屋

神威岬にある「カムイ番屋」、以前は「レストハウス ペニンシュラ」という店名でしたが、2006年ごろ今の名前に屋号を変更、そして2階には、明治21年に初点灯した神威岬灯台の資料館があります。

第一等不動レンズ

1960年(昭和35年)まで活躍した、フランス製のレンズで、大阪に展示されていたものが60年ぶりに里帰りしました。

展示されているのは2代目で、2つのレンズの説明がされてます。

神威岬灯台の、歴史や灯台の仕組みについての説明もあります。

遊歩道

駐車場の周りには遊歩道が整備され、ロシア艦隊に備えたレーダーの電磁台跡も残ってます。

チャレンカの小道

義経伝説にちなんだ、恋仲になった「チャレンカ」にちなんだ、神威岬まで通ずる、遊歩道が整備されてますが、今回はの目的は、念仏トンネルなので、ここを通らず、海岸線を行きます。

食堂うしお

チャレンカの小道が整備されるまでは、神威岬への入り口はこちらでした。一部は当時の険しい山道を歩いてました。

海岸線を行く

小さな、名のない水神様を横目に海岸に出ますと、荒々しい切り立った岩が見えてきます。

しばらく歩くと、これ以上は進めないんじゃないこと言う場所にたどり着きます。

そこには、人の手によって作られたような小さな回廊があります。

背の高い大人は屈んで入るくらいの、隧道があります。

トンネルの内部を歩く

 灯台守の家族3人が荒波にさらわれた事故を受けて、安全の核をのため1918年(大正7年)に作られた、60mくらいのトンネルですが、中は屈折しており、真っ暗です。念仏を唱えたくもなり、その由来となったものです。また、当時の技術じゃ掘削に難航し、お互いの位置を示すため、念仏を唱えて鐘をならし、位置を確認したともいわれてます。

トンネルの折れ曲がった場所から、内部に流出物が堆積しており、ここまで、海水が浸水していることがうかがわれます。

 トンネルを抜けると最初に目に飛び込んでくるのが、水無し岩です、これより先は水場がないことからつけられた名前です。そして、その先は「チャレンカの小道」まで海岸線を歩くことができます。

地図

現在値から神威岬への案内

解説動画

一つの動画にまとめました。まだまだ粗削りです。4K画像なので、画質を上げて、視聴してください。

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