神恵内厳島神社

積丹半島から続く美し海岸線と、神秘的な奇岩が立ち並ぶ神恵内村。

その海を見下ろすように鎮座している厳島神社。

町の中心地、役場の後背地にあります。向かいのバス停の奥の駐車場に止めました。

少し離れたところの海水浴場の駐車場は広くて止めやすいです。

例祭日

7月15日

旧社格

郷社

社殿様式

神明造

本殿様式

春日造

由緒

創始1603年と400年以上に渡って海の安全を守ってきた厳島神社。安芸の宮島・厳島神社より主祭神を祀り、後志管内では唯一、松前家崇敬神社21社の格式に列し、松前藩の家紋を社紋とする由緒ある神社。

しかし、明治33年4月21日、神恵内大火の為、社殿を焼失。現在は明治43年本殿、大正元年、幣殿・拝殿を造営されたものです。

北海道神社庁より

 文禄3年(1594)5月、近江国柳川村田付城主田付景春が、3代目兵庫介景輔の3男景豊に奥羽地方の漁民を誘導し、西蝦夷地フウーレ(神恵内)を開発した。慶長8年(1603)5月田付家居城の例に習い、保食神を祭神として創祀。

 承応元年5月15日、漁業並に航海等に威徳を垂れ給う神霊を祀り将来の隆昌を祈らんと、主祭神に安芸国宮島の厳島宮より市岐島姫大神、配神に播磨国海神社より大綿津見神、讃岐国金毘羅宮より大国主大神を祀る。

 宝暦2年(1752)5月15日、領主12代松前若狭守資広公より富留(古宇)総鎮守大弁財天の社号を賜る。天明2年(1782)5月、領主松前道広公自筆の神号額を付けられ、松前家崇敬神社21社の格式となる。安政2年(1855)2月、社号を厳島宮とする。明治4年社号を厳島神社と改称す。明治8年郷社に列せられる。

 明治33年4月21日、神恵内大火の為、社殿を焼失。明治43年本殿、大正元年、幣殿・拝殿を造営。平成10年7月社殿改修現在に至る。

祭神

市岐島姫命(いちきしまひめのみこと)、保食神(うけもちのかみ)、大綿津見神(おおわたつみのかみ)、大国主大神(おおくにぬしおおかみ)、崇徳天皇(すとくてんのう)、稲倉魂命(うがのみたまのみこと)

市岐島姫命

アマテラスとスサノオが、天眞名井で行った誓約(アマテラスとスサノオの誓約)の際に、アマテラスがスサノオの剣を噛んで吹き出した霧から生まれた三女神の三女。宗像三女神の一柱。水の神。

鳥居

一の鳥居

二の鳥居

三の鳥居

狛犬

手水舎

社務所

お守りなど布をかぶせて置いてありましたが無人です。

  

地図

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コメント

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