JR小樽駅から徒歩5分ほどのところにある龍宮神社は、小さな坂を上ると境内に幼稚園がある狭い地にあります。
旧社格
郷社
社殿様式
神明造り
由緒
現在、龍宮神社の鎮座する地はかつてアイヌが祭場として「イウナ」を立て祭事を行っていた地です。アイヌの祭具の「イウナ」がなまり小樽稲穂町の由来となったそうです。
明治9年の国有地払い下げの際、榎本武揚公が小祠を設けて遠祖である桓武天皇を奉祀し、移民の安意を図るために「北海鎮護」の額を献納。
龍宮の由来は江差町に設置された教派神道の龍宮教会分所を同19年4月に当鎮座地に移転し、この小祠に合併し、龍宮殿と称したのが始まりで、大和田津美神社を経て明治31年の龍宮神社となりました。
北海道神社庁より
当社鎮座の地は明治3年開拓判官岩村通俊が小樽の地に町名を付けるにあたって「イナホ町」と命名したものであるが、「イナホ」はアイヌが祭具として用いる「イナウ」から訛化したもので、この地はアイヌ民族が祭場としていた所であるとも伝えられる。
明治2年国有地払い下げの折、榎本武揚は小祠を設けて榎本家の遠祖である桓武天皇を奉祀し、明治9年移民の安意を図るため「北海鎮護」の額を献納した。 明治17年江差町に設置された教派神道の龍宮教会分所を同19年4月に当鎮座地に移転し、この小祠に合併し、龍宮殿と称していた。
明治29年7月本間豊雄(初代社司)が土地・社宇一切を譲り受け、これを神社に寄付し神職として奉仕した。 明治30年6月大和田津美神社と公称することが許可され、同31年4月龍宮神社と改称し、大正5年3月村社に列格した。
同7年12月長橋町に鎮座していた小樽伏見神社を境内に移転し昭和3年9月郷社に昇格し、神饌幣帛料供進神社に指定された。 大正15年造営会が組織され昭和16年社殿が改築されている。昭和21年宗教法人となった。
祭神
底津和田都美神(そこつわだつみのかみ)、中津和田都美神(なかつわだつみのかみ)、上津和田都美神(うわつわだつみのかみ)の和田都美三神。
豊受姫命(とようけひめのみこと)、大物主神(おおものぬしのかみ)、大毘古命(おおびこのみこと)、桓武天皇(かんむてんのう)を配祇。
和田都美三神(綿津見三神)
イザナギが黄泉から帰って禊をした時に生まれた三神。海を治める。
流星刀
榎本武揚が鉄隕石を使用して作らせた日本刀。榎本家から奉納された社宝。御朱印帳の裏表紙にも描かれてます。
鳥居
5号線から入る道路に設置され、車でくぐることもできます。道路を進むと階段があり階段の途中に社務所があります。
狛犬
榎本武揚像
境内には榎本武揚公の銅像が建てられております。
御神木と麻生太郎氏
社務所の横にあるスズカゲノキ
麻生太郎氏の植樹
麻生太郎氏が講演会の前に訪れ、出世祈願・勝運祈願をして、その手で境内にオンコ(イチイ)の木を記念植樹した。その後、1月後、第92代内閣総理大臣に指名されることになった。龍宮神社のご利益との声が寄せられ、強運の象徴となりました。
御朱印
龍の字が見事な迫力のある御朱印です。登り龍のごとく運気が上昇するようです。
御朱印帳
木製の表紙の御朱印帳。龍の絵と流星剣。
おみくじ
金龍と銀龍のかわいらいいおみくじがあります。下の尻尾のようなひもを引っ張ると、小さな巻物のようなおみくじが出てきます。
ちなみに「大吉」と「中吉」でした。
地図
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